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特集1

天台宗無量寿山善福寺

お釈迦さま

お釈迦さまは、現在のネパールルンビニで誕生。シャーキャ族の王で、王子として裕福な生活をしていました。

しかし29歳の時、出家されて数々の苦行を行ったが悟りを開くことはできず、35歳で苦行をやめ体の回復をしつつ菩提樹のしたで49日間の観想に入った。そこでお釈迦さまは悟りを開かれた。

お釈迦さまは、悟りを開き最初に数年もの間、共に苦行を行っていた5人の沙門に自分が悟った内容を教えを説きます。これを初転法輪と言います。これにより5人の沙門はお釈迦さまに帰依していきます。

お釈迦さまの教えは対機説法というものです。「さとり」に基づいて、折にふれ相手の状況や能力にあわせて、そのひとに相応しいことを説かれました。

お釈迦さまは、三迦葉呼ばれる三人のカッサパ(迦葉)兄弟を帰依させて仏教教団は1000人以上の大きな組織になっていった。

また、お釈迦さまの2大弟子の一人である舎利弗は最初の5人の沙門の一人アッサジからお釈迦さまの教えを聞き直後に親友であったもう一人の2大弟子である目連を連れてお釈迦さまに帰依しました。

お釈迦さまはこのような沢山の弟子たちを抱えるようになり、教団の構成員はだんだんと増加し、ここに教団の秩序を保つために、いろいろの戒律が設けられるようになった。

お釈迦さまの教化され伝道された45年間の地域をみると、ほとんどガンジス中流地域を包んでいる。

お釈迦さまの入滅の詳細は漢訳の『長阿含経』の中の「遊行経」とそれらの異訳、またパーリ所伝の『大般涅槃経』などの記録である。
最後の歩みをクシナーラー (kusinaara) にむけ、その近くのヒランニャバッティ河のほとりにいきサーラの林に横たわり入滅した。

また、お釈迦さまの生没年の説は、2説ありまして紀元前463〜383年頃、紀元前566〜486年頃、紀元前624〜544年頃です。

さらにお釈迦様は、釈迦牟尼仏・釈尊・ゴーダマ・シッダールタなど沢山の呼び名を持ってます。